2005年12月05日

福岡国際マラソン

日曜日、福岡国際マラソンが行われました。
来年は世界規模の大会がない年ということで、
例年よりやや寂しいメンバー構成となってしまいましたが、
そんな中復活をかける藤田敦史選手、国近友昭選手の走りに
注目が集まりました。

しかし気象条件は冷たい雨と北西からの強風と最悪のコンディション、
スタート後の5kmも向かい風にたたられ15分47秒と超が付くスローペースに。

10kmを過ぎ、進路を東に変えた時点で急激にペースが上がり、
10-15kmが14分50秒、15-20kmが14分37秒と、
いくら風の影響を考慮しても「乱ペース」といわざるを得ない
急激過ぎるペース変化でした。

当然のことながら集団はどんどんとバラけだし、
中間点ではペースメーカーを含め8名に。
この時点で日本人は藤田選手ただ一人、
いやがおうにも期待が膨らみます。

レースが動いたのは香椎の折り返しを過ぎた32km過ぎ、
ペースメーカーが外れた瞬間、満を持してスパートしたのが
バラノフスキー選手(ウクライナ)。
藤田選手をはじめ後続の選手には、この切り替えに
付いていく余力はすでに残されていませんでした。

しかしここからが藤田選手の真骨頂だったと思います。
35km付近で一事大きく離された3位レイ選手を捕らえ、
38km付近では足が止まったビルハヌ選手をレイ選手とともに抜き去り、
39km過ぎで一度勝負をかけたレイ選手のスパートにも付いていく粘りを見せました。

最後は力尽き3位になりましたが、タイムは2時間09分48秒、
この条件を考えるとかなりの好タイムだと思います。

2000年福岡での日本新記録、あれはまさに「異次元」の走りでした。
だからこそ当時これからは「藤田時代」が続くと誰もが思いましたし、
5年が経った今でも彼の復活を信じているファンが多いのも、
あの「福岡」での鮮烈な走りが皆の脳裏に残っているからでしょう。

そして今回、復活の足がかりとなるような結果を残せましたね。
「まだ」29歳ですし、今回のレースが真の「マラソン第一人者」に
駆け上るステップになればいいなと思ってます。

もう一人の注目選手、国近選手は中間点前後で遅れだし、
途中かなり厳しそうな走りでしたが、最後まで大崩れはしませんでした。
次走に期待が繋がる内容だったと思います。

天候に恵まれなかったのが残念でしたが、
そんな中でも沿道の観衆は例年同様、非常に多かったですね。
福岡のファンの熱の入れようには、驚かされるばかりです。

中継もまずまず良かっただったと思うのですが、
いい加減シーホーク屋上からの中継はやめたほうがよろしいかと。
・・・あの強風下ではいつか事故がおきますよ。

(結果は朝日新聞サイトで)
posted by 宗太郎峠 at 20:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 大会関連05年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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